「平成の三四郎」古賀稔彦さんが亡くなった。
HEROは実在する。
1992年、中学生のときにみたバルセロナ五輪。
強かった古賀稔彦選手。
常に一本を取りに行く柔道と、169cm という小柄な体ながら繰り出される切れ味鋭い技の数々、
やっぱり忘れられないのが後輩吉田秀彦選手とのあのドラマ。
試合直前での乱取りで古傷のひざを負傷した古賀選手。
怪我させてしまった吉田選手は『俺は勝たなければいけない。自分のためにも、先輩のためにも』と気持ちを切り替え、金メダルを取った。
吉田選手の勝利を、古賀選手は自室のテレビで見ていた。
試合後のインタビューで、吉田選手は「明日、必ず古賀先輩がやってくれます」と言い切った。
満身創痍の古賀選手。
決勝戦は旗判定になり、軍配が自分に上がった瞬間までは覚えているが、
その後、勝利のガッツポーズをとったことも、試合場から下りた記憶も完全に飛んでいるという。「記憶があるのは、少し離れたところで秀彦が泣きながら私を待っていたシーンからなんです。ああ、秀彦が泣いている。じゃあ、俺も泣いていいかなって」
これは国民総出で泣いたと思う。
怪我に耐え、
痛みに耐え、
プレッシャーに耐え、
小さな体で強敵を倒して行く古賀選手の姿にみんな自分を投影していたような気がする。
あの時完全に古賀選手は日本のHEROだった。
そんな古賀選手も病には勝てなかった・・・。
53歳は若すぎる。
とても残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。